前に読んだ西加奈子の 『i アイ』をレビュー。
最近、仕事に忙殺されてました。
僕は書店に立ち入って目的もなくぶらぶらするのが好きですがたまに衝動買いすることがあります。
『i アイ』はたくさんの本の中でも一際、目立つ表紙です。
カラフルな色彩で不思議と惹かれるものがあってついつい衝動買いをしました。
『 i アイ』という小説は著者が西加奈子で僕は同じ著者の『サラバ!』を以前読んだことがあるんですがその小説もすごく好きだったので気に入った表紙が好きな作家さんで地味に感動・・・。
あらすじ
主人公のアイはアメリカ人の父と日本人の母がいるシリア生まれの養子だった。
裕福で恵まれた家庭で何不自由なく育ったアイだったが自分はなぜ選ばれたんだろうと自分に問い続ける。
血のつながりが無ければ本当の家族にはなれないのか「この世界にアイは存在しません。」入学式の翌日、数学教師が言った言葉が忘れられず、少女の胸に居座り続ける。
この世界にアイは存在するのか自身の生まれであるシリア情勢の人道危機に心を痛め現実の残酷さに打ちひしがれて答えを探し続ける・・・
シンプルなタイトルに含まれた意味
タイトルのiというのには複数の意味が含まれています。
ひとつは愛、そして虚数のi、主人公のアイ
冒頭での「この世界にアイは存在しません。」という言葉は虚数のi、つまり二乗して-になる数は存在しないということです。
数学について勉強している人には分かると思うが虚数は普通に存在します。
主人公のアイも虚数が存在するかどうか数学の教授に聞いているがやはり虚数はしっかり存在しています。
数が存在するとは?
そもそも数について存在するかしないかについて定義してみると日常(自然)の中でつかわれているのが存在と言えるのだと思います。
正の数、負の数~株価、気温等
虚数~物理学、工学等
虚数は確かに一般の人には触れる機会すら無いが高度な技術を扱う際には使われているようです。
もしもこの世界に虚数が存在しなければどうなるのか?
虚数というものが存在しなければ数学の方程式で解けないものがでてきます。
例えば正の数まで習っている小学生が1+1を解こうとすると1+1=2と解けますよね。
しかし、1-2を解こうとすると負の数という概念を知らない小学生たちは「先生解けませーん!!」と学級崩壊さながらのブーイングが巻き起こることは必然でしょう。
そこで、この方程式を解くために「この世界に負の数は存在します!」と声高らかに宣言する小保方氏を召喚してあげましょう。
そうすることで負の数について認知することができ、1-2=-1と方程式の解を求めることができるようになります。
僕自身、数学については高校レベルなので詳しくは説明が難しいですが、簡単に言うと虚数が無ければ解けない方程式があり虚数が存在しないより存在する方が自然ということです。
そう考えると一見、「存在しないかのように見えるが実はしっかりと存在している虚数」と「人の目には見えないが伝わる人にはしっかりと伝わる愛」はどことなく似ていませんか?
ちなみに小説を読めばわかりますが主人公のアイもしっかり掛け合わせてます。
登場人物の名前に隠された意味
実は登場人物の名前にも隠された意味が含まれています。
アイ~I(自分)
ミナ~ALL(社会、世界)
ユウ~YOU(相手)
主人公のアイと親友のミナそして恋人のユウは、物語のミクロな視点と世界全体として考えるマクロな視点としても考えることができるのではないでしょうか。
親友にも悩みがあるように社会にも悩みがあり恋人(相手)なくしては自分はない。
世界(マクロ)と個人(ミクロ)面白いことに似ています。
世界には大きな問題飢餓や戦争がありますが個人にだって問題がありどっちも蔑ろにしてはいけないと思います。
世界に比べたら自分なんて・・・と思うのは違います。
人の苦しみは人それぞれなのでまずはその苦しみを目を塞ぐことなくしっかりと向き合うことが解決への第一歩になるのではないでしょうか。
アイの苦悩
血のつながりのない両親
優しい両親であるがやはり血のつながりが無いのでどこか埋まらない溝のようなものをアイは拭いきれませんでした。
そんな幼少期を過ごしたアイは血のつながりに執着してしまい子供を欲しがりましたがなかなかできず苦悩します。
色々と努力してようやく子供を授かりますが、喜ぶのも束の間、あえなく流産してしまい絶望してしまいます。
シリアで亡くなっている人が多い中、生き残ってしまった自分
アイはテロや事故で亡くなった人に心を痛めてなぜ自分では無かったのかと悩む繊細な面を持ち合わせています。
養子になったことで何もせずに安全で快適な暮らしを得てしまったと感じながら子供時代を過ごし孤独感を持ち合わせていました。
親友ミナの望まぬ妊娠に怒り
流産に絶望している中で親友ミナが望まぬ妊娠をしたため中絶すると言ったことに普段は温厚なアイが怒ります。
ミナからのメールを読んでみると自分の体のことだから中絶することに対してアイに謝ることは無いと言いますが、アイに対する敬意、想いは持っていることが伝わるような文章で愛を感じました。
しかし、アイはどうしてもミナの事を許すことができずにいました。
ミナのやったことは理解できないがミナのことが大好きなアイは悩みぬいた結果、ミナに会いに行くことを決意します。
そこで、ミナに会った瞬間、いままでの怒りが噓のようになくなりミナのことを許すシーンがあります。仲直りしてよかったなぁと私はしみじみとしました。
ミナは結局、子供を産むことを選びますが、それはアイのためではなく自分で決めたことだと言い、自由主義的な考えでいいなって思いました。
写真家はどこから報道かエゴか?
アイはユウにシリアの写真を撮りたいと思わないか聞くがユウは撮りたいと思うだけで撮ってはいけないものだと言う。
報道としてならいいがユウには撮りたいという気持ちがあることは気付いている。
どこからが報道なのかどこからが自分の為(エゴ)なのかという難しい問いに悩みます。
そして、長く悩んだ末に気付いたことはとてもシンプルでそこに愛があるかどうかというユウの答えを見つけました。
本当に相手のことを想えるならそれが正しいか正しくないかなんてそれほど重要ではないのかもしれません。
しかし、相手の為を想った行為でも勘違いされてずっと恨まれ続けるのは切ないですよね…。
そこに本当の愛があるならば相手の為になるならば恨まれたって構わないものなのでしょうか。まさに究極の愛ですね。
最後に…
最後のシーンでアイとミナがビーチへ亡くなった人々に花束を捧げに行きますがアイが感極まったのかそのまま海の中へ飛び込んでいきます。
最初の方はどちらかというと暗い感じが続いていましたが最後には世界が色とりどりに輝いているかのような爽やかさと開放感とでもいうんでしょうか。
いままでの鬱屈した想いが晴れやかになっていくようでとても好きなシーンでした。
たぶん表紙のイメージはそこから来てるんじゃないかなと思いますがどうでしょう。
ちょっと僕の語彙力が乏しくて表現できませんが是非、読んでもらいです!